【前編】天皇の「深い反省」はどこから来たのか――昭和天皇の草稿削除から平成初期の外交発言まで【まとめ&考察】

天皇陛下

4月29日の「昭和100年記念式典」で話題になり、さまざまな意見が飛び交った天皇皇后両陛下の「深い反省」。そもそもこの文言はいつからあったのか、どのような場面で、どのような背景で、どのような文脈で用いられてきたのかを調べてみました。

両陛下「深い反省と平和守る努力大切」 昭和100年式典で感想(4/30(木) 毎日新聞)

時系列でたどる「深い反省」

「深い反省」の明確な初例は平成4年(1992)ですが、その前段階で重要と思われるものも加えました。

年月日場面表現・要旨記事での位置づけ
昭和27年(1952)独立回復式典のおことば草稿をめぐるやり取り「反省」という語を入れる意向があったが、最終的には削除されたとされる公表された発言ではなく、後年公開された記録上の重要事例
昭和59年(1984)9月6日韓国・全斗煥大統領歓迎の宮中晩餐「両国の間に不幸な過去が存したことは誠に遺憾」「深い反省」ではないが、昭和天皇の対外的な過去言及
平成2年(1990)5月24日韓国・盧泰愚大統領歓迎の宮中晩餐昭和天皇の「遺憾」に触れた上で、「我が国によってもたらされたこの不幸な時期」に韓国の人々が味わった苦しみに「痛惜の念」「遺憾」から一歩踏み込んだ表現
平成4年(1992)10月23日中国訪問時の晩餐「このような戦争を再び繰り返してはならないとの深い反省にたち」天皇の公式発言として「深い反省」が明確に現れる重要事例
平成6年(1994)3月24日韓国・金泳三大統領歓迎の宮中晩餐「過去の歴史に対する深い反省の上に立って」日韓関係の文脈での「深い反省」
平成27年(2015)8月15日全国戦没者追悼式・戦後70年「さきの大戦に対する深い反省と共に」全国戦没者追悼式で初めて「深い反省」が入る
平成28年(2016)8月15日全国戦没者追悼式「過去を顧み,深い反省とともに」戦後70年以降、慰霊・平和祈念の場で継続
平成29年(2017)8月15日全国戦没者追悼式「過去を顧み,深い反省とともに」前年と同様の表現を継続
平成30年(2018)8月15日全国戦没者追悼式「過去を顧み,深い反省とともに」退位前最後の全国戦没者追悼式でも継続
令和元年(2019)8月15日全国戦没者追悼式「過去を顧み,深い反省の上に立って」令和にも継承
令和2年(2020)8月15日全国戦没者追悼式「過去を顧み,深い反省の上に立って」平成・令和期の定型表現として継続
令和3年(2021)8月15日全国戦没者追悼式「過去を顧み,深い反省の上に立って」同上
令和4年(2022)8月15日全国戦没者追悼式「過去を顧み,深い反省の上に立って」同上
令和5年(2023)8月15日全国戦没者追悼式「過去を顧み,深い反省の上に立って」同上
令和6年(2024)8月15日全国戦没者追悼式「過去を顧み,深い反省の上に立って」同上
令和7年(2025)8月15日全国戦没者追悼式・戦後80年「過去を顧み,深い反省の上に立って」戦後80年でも継続。戦争体験の継承も重視
令和8年(2026)2月23日天皇誕生日に際しての記者会見「過去の歴史から謙虚に学び、深い反省と共に」式典外での明確な言及
令和8年(2026)4月29日・30日報道昭和100年記念式典へのご感想(ご発言なし)宮内庁説明として「過去の歴史から謙虚に学び、深い反省とともに」天皇誕生日に続き、追悼式以外で用いられた点で異例

昭和天皇は「反省」を語ろうとしていたのか

昭和27年(1952) 「独立回復式典」のお言葉草稿をめぐるやり取り

サンフランシスコ平和条約に署名する吉田茂首席全権と全権委員 画像:Wikipedia

背景

戦後7年目にあたる昭和27年4月28日、サンフランシスコ平和条約が発効となり、日本は占領を終えて主権を回復しました。そして、つづく5月3日には日本国憲法施行5周年となるため、同日に「平和条約発効並びに憲法施行五周年記念式典」(通称「独立回復式典」)が開催され、昭和天皇のお言葉も式次第に取り入れられました。

そのお言葉の草稿段階で戦争への「反省」を入れるかどうかが大きな問題になったのです。

「私はどうしても反省といふ字をどうしても入れねばと思ふ」

昭和天皇は、式典のお言葉に、戦争に対する「反省」の文言を入れることを強くお望みになったと、『昭和天皇拝謁記』(初代宮内庁長官・田島道治が昭和天皇とのやり取りを記録したもの)に記されています。

また、同書には「私は反省といふのは私にも沢山あるといへばある」という発言も記録されており、これは単に「国民全体が反省すべき」というものではなく、昭和天皇自身にも反省すべき点があるという含みを持つ発言として極めて重要です。

この昭和天皇のご意向をもとに田島長官は草案を練りました。

最終段階で吉田茂首相が「反省」文言を削除 理由は?

しかし、結果として昭和天皇のご希望は通らず、吉田茂首相により「反省」文言は削除されることとなりました。その理由は『昭和天皇拝謁記』によると

○昭和天皇の戦争責任論が再燃する
○講和を機に退位論が再び強まる

…ことを首相が危惧したからだとされています。つまり、削除の大きな理由は、「天皇が反省を述べると、戦争を始めた責任が天皇にあると受け取られる危険がある」という政治的判断がなされたからです。

昭和天皇拝謁記3 昭和26年11月~27年6月

中国ご訪問で初めて現れた「深い反省」

平成4年(1992)10月23日 中国訪問時の晩餐

背景 強い反対意見・慎重論がある中での訪中

この頃、中国政府により度々の天皇の訪中招請があり、検討が重ねられていました。しかし、中国では平成元年(1989)に天安門事件があり、国際的に孤立していました。このような状況の中で「なぜ今なのか」「中国に天皇が政治利用されるのではないか」という反対意見が多くありました。つまり、

○天皇の政治利用
○中国による謝罪要求の可能性
○天安門事件後の中国を助けることになるのではないかという懸念

…があったのです。
当時の宮澤喜一首相は最終的に訪中を決断しましたが、首相自身も、党内や国民の間に亀裂が生じる形では実施したくない、という慎重姿勢を示していたようです。

また、この時の訪中は歴代天皇で初めてのこととなりました。

お言葉

この両国の関係の永きにわたる歴史において,我が国が中国国民に対し多大の苦難を与えた不幸な一時期がありました。これは私の深く悲しみとするところであります。戦争が終わった時,我が国民は,このような戦争を再び繰り返してはならないとの深い反省にたち,平和国家としての道を歩むことを固く決意して,国の再建に取り組みました。

天皇皇后両陛下 中華人民共和国ご訪問時のおことば(宮内庁、一部抜粋)

そしてこの時、初めて陛下のお言葉に「深い反省」の文言が取り入れられました。
戦後間もない「独立回復式典」では回避された反省文言ですが、今回の「深い反省」は、陛下ご自身が直接「私は深く反省します」と言う形ではなく、主語を「我が国民」に置き、戦後の日本国民が、戦争を繰り返してはならないとの深い反省に立ったという文脈で置かれています。ここは非常に慎重な表現です。

中国に続き、韓国に向けて現れた「深い反省」

平成6年(1994)3月24日 韓国大統領歓迎の宮中晩餐

お言葉

両国の永く密接な交流のあいだには,我が国が朝鮮半島の人々に多大の苦難を与えた一時期がありました。私は先年,このことにつき私の深い悲しみの気持ちを表明いたしましたが,今も変わらぬ気持ちを抱いております。戦後,我が国民は,過去の歴史に対する深い反省の上に立って,貴国国民との間にゆるがぬ信頼と友情を造り上げるべく努めて参りました。

国賓 大韓民国大統領閣下及び同令夫人のための宮中晩餐(宮内庁、一部抜粋)

平成4年の訪中時に続き、「深い反省」の主語が「我が国民」になっているところに注目できます。陛下ご自身は「深い悲しみの気持ち」という感情を表明されるにとどまり、「謝罪」の余地が入り込む「反省」については慎重になっていることが分かります。

天皇が「私は反省する」とは言わない形にすることで、天皇個人の戦争責任論に直結しないよう、慎重に文言が整えられているように見えます。

以来、長く封印されることになった「深い反省」

中国・韓国に向け、慎重な形でお言葉に「深い反省」が盛り込まれましたが、その後は対外的に用いられることはなくなりました。次の「深い反省」は、21年後の平成27年(2015)8月の全国戦没者追悼式を待たなければなりません。
後編ではその理由と、その後、文言がどのように用いられていったのかについて取り上げていきたいと思います。

後編はこちら

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