【入門編】立太子の礼と立皇嗣の礼の違いとは?――秋篠宮殿下の立皇嗣の礼から考える

入門編

まず結論

まず簡潔にふたつの説明をすると、以下になります。

立太子の礼は、宮内庁が公開している用語集によると、「皇太子であることを公に告げられる儀式」とあります。 引用:用語集(宮内庁)
立皇嗣の礼は、宮内庁の用語集にはありませんが、立太子の礼にならうと「皇嗣であることを公に告げられる儀式」であると言えます。

皇太子と皇嗣の違い

皇嗣とは、皇位継承順位が第1位である皇族です。
皇太子とは、皇嗣である皇子、つまり天皇の男子で皇位継承順位第1位にある皇族を指します。

「皇太子」は皇嗣であるが、より狭い範囲のものを言い、「皇嗣」は皇太子よりも広く「次代の天皇」を指す言葉であると言えます。

すなわち、これら2つの儀式は、皇太子に立てられるのか、皇嗣に立てられるのかの違いになりますが、いずれも「次の天皇であることを、公に明らかにするための儀式」としては同じです。

なお、皇太子と皇嗣の違いについては、詳しくは次の関連記事をご覧ください👇

本記事では、「立太子の礼」と「立皇嗣の礼」という儀式の違いについて具体的に解説します。


1. 立太子の礼とは何か

先述のように、皇太子が正式に立てられたことを、国の内外に示す儀式です。

「礼」と「儀」

立太子の礼は、中心となる「立太子宣明の儀」と「朝見の儀」などから成る一連の儀式です。平成3年(1991)の立太子の礼では、立太子宣明の儀、朝見の儀、宮中饗宴の儀が国事行為たる儀式として行われました。

つまり、
「礼」= 一連の大きな儀式パッケージ
「儀」= その中に含まれる個別の儀式・場面

であると言えます。

立太子宣明の儀

宮内庁の用語解説では、立太子宣明の儀について「皇太子であることを公に宣明されるとともに、これを内外の代表が祝われる儀式」としています。

実例としては、平成3年(1991)2月23日、皇居・宮殿において今の天皇陛下が立太子された時のものです。平成の天皇陛下(今の上皇陛下)は次のお言葉を宣明しました。

本日ここに,立太子宣明の儀を行い,皇室典範の定めるところにより徳仁親王が皇太子であることを,広く内外に宣明します。

主な式典におけるおことば(平成3年)(宮内庁)

そして、皇太子となった徳仁親王殿下は天皇皇后両陛下に次のおことばを奉じました。

立太子宣明の儀が行われ、誠に身の引きしまる思いであります。皇太子としての責務の重大さを思い、力を尽くしてその務めを果たしてまいります。

※宮内庁公式サイト上では確認できず、報道等に文言が見えるものを引用しています。

内外の代表とは、具体的には
内(国内の代表)=三権の長、内閣関係者、国会関係者、最高裁判所関係者、地方公共団体の代表者など
外(外国の代表)=駐日外交団、各国大使、外交団長など

立太子の礼は天皇の「国事行為」

立太子の礼は、憲法第7条に規定された天皇の国事行為として行う儀式に位置付けられています。すなわち、立太子の礼は皇室の私的儀式ではなく、内閣の助言と承認のもとに行われる公的儀式です。


2. 立皇嗣の礼とは何か

立皇嗣の礼の内容は立太子の礼と大筋において同じです。

儀式は「立皇嗣宣明の儀」と「朝見の儀」のふたつで構成されており、「宣明の儀」は天皇が「皇嗣であることを公に宣明されるとともに、これを内外の代表が祝われる儀式」です。

令和2年(2020)11月8日に、天皇陛下は秋篠宮文仁親王殿下が皇嗣となったことを国内外に宣明しました。

本日ここに,立皇嗣宣明の儀を行い,皇室典範の定めるところにより文仁親王が皇嗣であることを,広く内外に宣明します。

立皇嗣宣明の儀の天皇陛下のおことば(令和2年11月8日,宮内庁)

そして、皇嗣となった秋篠宮殿下は、天皇皇后両陛下の前にお立ちになり、お言葉を奉じました。

立皇嗣宣明の儀をあげていただき,誠に畏れ多いことでございます。皇嗣としての責務に深く思いを致し,務めを果たしてまいりたく存じます。

立皇嗣宣明の儀の秋篠宮皇嗣殿下のおことば(令和2年11月8日,宮内庁)

平成3年の立太子宣明の儀とは、文言が変わっています。
これは筆者の推測ではありますが、皇嗣殿下はこの時54歳で、すでに皇族として数々の公務のご経験を積まれており、その点を考慮したものではないかと思います。
ちなみに、平成3年に徳仁親王殿下が皇太子となられた時のご年齢は31歳です。
また、秋篠宮殿下は天皇陛下の皇子ではなく弟宮として皇嗣になられた点でも、立場に違いがあります。こうした年齢や立場の違いが、お言葉の表現にもにじんでいるように思われます。

ほか、立皇嗣の礼も立太子の礼と同じく、皇居・宮殿で行われ、国事行為の儀式として執り行われました。


補足:昭和の「皇嗣」秩父宮にはなぜ立皇嗣の礼がなかったのか

昭和元年(1926)の昭和天皇の即位後、明仁親王殿下(平成の天皇、今の上皇陛下)が昭和8年(1933)にお生まれになるまでの7年間、皇位継承順位第1位は昭和天皇の弟宮・秩父宮雍仁親王でした。

秩父宮は昭和天皇の弟として一時期において皇嗣となりましたが、令和の秋篠宮殿下のような立皇嗣の礼は行われませんでした。

皇位継承順位が将来変動する可能性があった

この時点では、昭和天皇に男子が誕生する可能性があり、皇位継承順位は将来変動し得る状態でした。実際に明仁親王殿下がお生まれになると、皇位継承順位は変わりました。
これが、秩父宮に立皇嗣の礼が行われなかった理由です。

すなわち逆に言えば、立皇嗣の礼が行われるのは「皇嗣の地位が将来において変動する可能性が極めて限定的である場合」に限られると言えます。

秋篠宮殿下の場合は何が違ったのか

秋篠宮殿下の場合、立皇嗣の礼が行われる令和2年時点で、皇位継承順位が変動する可能性は現実的に極めて限定的でした。そのため、皇嗣としての地位を明確にし、内外に示す儀式として、立皇嗣の礼が行われました。

これが昭和の「皇嗣」秩父宮と、令和の皇嗣秋篠宮殿下との違いです。


まとめ

以上のように、立太子の礼と立皇嗣の礼は、儀式の内容を見れば非常に近いことが分かります。
2つの儀式はいずれも、皇位継承順位第1位の皇族の地位を、国の内外に明らかにする儀式です。

ただし、立太子の礼が「皇太子」という比較的理解されやすい地位を示す儀式であるのに対し、立皇嗣の礼は「皇太子ではない皇位継承順位第1位」という、やや特殊な地位を確認する意味を持っていました。

そのため、令和の立皇嗣の礼は、単なる儀礼にとどまらず、秋篠宮殿下の皇位継承上の位置づけを明確にする意味を持っていたといえるでしょう。

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