【後編】祈り・慰霊の言葉となった「深い反省」――戦後70年から昭和100年記念式典まで【まとめ&考察】

天皇陛下

平成初期の訪中・韓国大統領歓迎といった外交場面で初めて用いられた天皇の「深い反省」文言。昭和が終わり、平成の時代においてはこの文言を用いるハードルが下がったのかと思われましたが、平成6年の韓国大統領歓迎の宮中晩餐を最後に「深い反省」は長らく封印されることとなりました。

年月日場面表現・要旨記事での位置づけ
昭和27年(1952)独立回復式典のおことば草稿をめぐるやり取り「反省」という語を入れる意向があったが、最終的には削除されたとされる公表された発言ではなく、後年公開された記録上の重要事例
昭和59年(1984)9月6日韓国・全斗煥大統領歓迎の宮中晩餐「両国の間に不幸な過去が存したことは誠に遺憾」「深い反省」ではないが、昭和天皇の対外的な過去言及
平成2年(1990)5月24日韓国・盧泰愚大統領歓迎の宮中晩餐昭和天皇の「遺憾」に触れた上で、「我が国によってもたらされたこの不幸な時期」に韓国の人々が味わった苦しみに「痛惜の念」「遺憾」から一歩踏み込んだ表現
平成4年(1992)10月23日中国訪問時の晩餐「このような戦争を再び繰り返してはならないとの深い反省にたち」天皇の公式発言として「深い反省」が明確に現れる重要事例
平成6年(1994)3月24日韓国・金泳三大統領歓迎の宮中晩餐「過去の歴史に対する深い反省の上に立って」日韓関係の文脈での「深い反省」
平成27年(2015)8月15日全国戦没者追悼式・戦後70年「さきの大戦に対する深い反省と共に」全国戦没者追悼式で初めて「深い反省」が入る
平成28年(2016)8月15日全国戦没者追悼式「過去を顧み,深い反省とともに」戦後70年以降、慰霊・平和祈念の場で継続
平成29年(2017)8月15日全国戦没者追悼式「過去を顧み,深い反省とともに」前年と同様の表現を継続
平成30年(2018)8月15日全国戦没者追悼式「過去を顧み,深い反省とともに」退位前最後の全国戦没者追悼式でも継続
令和元年(2019)8月15日全国戦没者追悼式「過去を顧み,深い反省の上に立って」令和にも継承
令和2年(2020)8月15日全国戦没者追悼式「過去を顧み,深い反省の上に立って」平成・令和期の定型表現として継続
令和3年(2021)8月15日全国戦没者追悼式「過去を顧み,深い反省の上に立って」同上
令和4年(2022)8月15日全国戦没者追悼式「過去を顧み,深い反省の上に立って」同上
令和5年(2023)8月15日全国戦没者追悼式「過去を顧み,深い反省の上に立って」同上
令和6年(2024)8月15日全国戦没者追悼式「過去を顧み,深い反省の上に立って」同上
令和7年(2025)8月15日全国戦没者追悼式・戦後80年「過去を顧み,深い反省の上に立って」戦後80年でも継続。戦争体験の継承も重視
令和8年(2026)2月23日天皇誕生日に際しての記者会見「過去の歴史から謙虚に学び、深い反省と共に」式典外での明確な言及
令和8年(2026)4月29日・30日報道昭和100年記念式典へのご感想(ご発言なし)宮内庁説明として「過去の歴史から謙虚に学び、深い反省とともに」天皇誕生日に続き、追悼式以外で用いられた点で異例

戦後70年を機に、全国戦没者追悼式に加わった「深い反省」

平成27年(2015)8月15日 〜 平成30年(2018)8月15日 全国戦没者追悼式

お言葉

 「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり,全国戦没者追悼式に臨み,さきの大戦において,かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い,深い悲しみを新たにいたします。
 終戦以来既に70年,戦争による荒廃からの復興,発展に向け払われた国民のたゆみない努力と,平和の存続を切望する国民の意識に支えられ,我が国は今日の平和と繁栄を築いてきました。戦後という,この長い期間における国民の尊い歩みに思いを致すとき,感慨は誠に尽きることがありません。
 ここに過去を顧み,さきの大戦に対する深い反省と共に,今後,戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い,全国民と共に,戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し,心からなる追悼の意を表し,世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。

主な式典におけるおことば(平成27年)全国戦没者追悼式平成27年8月15日(土)(日本武道館)(宮内庁)

ここでは「深い反省」が、中国・韓国といった特定国との文脈から切り離されています。

平成4年訪中では、

「我が国が中国国民に対し多大の苦難を与えた」

平成6年韓国大統領歓迎晩餐では、

「朝鮮半島の人々に多大の苦難を与えた」

と、相手国との関係性の中で「深い反省」が置かれていました。
しかし平成27年は違う。ここでの「深い反省」は、「さきの大戦」、「戦争の惨禍」、「平和」、「追悼」という、戦没者追悼式本来の文脈に置かれていることが分かります。

平成6年以降、20年以上も「深い反省」が封印された理由

平成4年・6年の用例は、政治的に重くなりすぎた可能性があります。
こちらの「深い反省」は、相手国を前にした外交儀礼の場で語られたため、天皇の象徴的なお言葉でありながら、政治的・外交的意味を帯びやすかった。謝罪・賠償などの外交カードとしても用いられる恐れがあり、歴史認識にも直結しやすく、再び天皇の戦争責任論が燃え上がる恐れもありました。これこそまさに、外国による「天皇の政治利用」と言えるでしょう。

その後、この表現が長く用いられなかったことを考えると、宮内庁側もその扱いに慎重になった可能性は高いといえます。

このことから、天皇による「深い反省」は、外交儀礼の場ではなく、戦後70年の節目である平成27年以降の全国戦没者追悼式という祈り・慰霊の場で再登場したのではないのでしょうか。そこでは、特定国への謝罪というよりも、過去を顧み、戦争の惨禍を繰り返さないという、象徴天皇の平和への祈りとして「深い反省」が表現されているように思います。

令和の戦没者追悼式にも継承された「深い反省」

令和元年(2019)8月15日 〜 令和7年(2025)8月15日 全国戦没者追悼式

お言葉

 本日,「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり,全国戦没者追悼式に臨み,さきの大戦において,かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い,深い悲しみを新たにいたします。
 終戦以来74年,人々のたゆみない努力により,今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが,多くの苦難に満ちた国民の歩みを思うとき,誠に感慨深いものがあります。
 戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ,ここに過去を顧み,深い反省の上に立って,再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い,戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し,全国民と共に,心から追悼の意を表し,世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。

主な式典におけるおことば(令和元年)全国戦没者追悼式(宮内庁)

戦没者追悼式、天皇陛下「深い反省」を踏襲 令和最初(日本経済新聞)2019年8月15日

令和でも引き続き戦没者追悼式という、祈り・慰霊の場において「深い反省」が継承されています。令和元年から、戦後80年を迎えた令和7年においても、ほぼ文言を変えることなく定式化されていきました。

天皇誕生日の会見に初めて現れた「深い反省」

令和8年(2026)2月23日 天皇誕生日

戦後80年についての記者質問

問5 昨年は戦後80年にあたり、戦没者慰霊のために各地を訪問し、愛子さまも同行されました。この1年で心に残った出来事をお聞かせください。

天皇陛下お誕生日に際し(令和8年)(宮内庁)

ご回答

 昨年は戦後80年に当たり、雅子と共に、硫黄島と広島県を、また、愛子も一緒に3人で沖縄県、長崎県、東京都慰霊堂、昭和館を訪れました。 先の大戦において、世界の各国で多くの尊い命が失われたことを大変痛ましく思います。今回、国内の各地を訪れて、亡くなられた方々に改めて深い哀悼の意を捧げました。それぞれの地で、戦災に遭われた方々や亡くなられた方々の御遺族、戦争の記憶を語り継ぐ活動をしている方々などのお話を伺いましたが、皆さんに語っていただいた一つ一つの記憶が、私たちの心に深く残っています。
 また、昨年のモンゴル訪問時には、シベリア抑留でモンゴルに連れて来られ、当地で亡くなった方々を慰霊する、ウランバートル郊外にある日本人死亡者慰霊碑に供花し、故郷から遠く離れた地で亡くなられた方々を慰霊し、その御苦労に思いをせました。
 多くの方々が苦難の道を歩まざるを得なかった歴史に改めて思いを致し、戦中・戦後に人々が味わった悲惨な体験や苦労を、後の世代に伝えていくことが大切だと考えています。愛子にとっても、戦争の悲惨さや平和の尊さを改めて感じることができた1年だったのではないかと思います。戦争の記憶と平和の尊さを次の世代へ引き継いでいく役割を愛子にも担ってほしいと思っています。
 これからも、各地で亡くなられた方々や、苦難の道を歩まれた方々に、心を寄せていきたいと思います。そして、終戦以来、人々のたゆみない努力により築き上げられた平和を今後とも永続的に守っていくため、過去の歴史から謙虚に学び、深い反省と共に、平和を守るために必要なことを考え、努力することが大切であると考えています。

天皇陛下お誕生日に際し(令和8年)(宮内庁)

天皇誕生日という「お祝いの場」で「深い反省」という文言が用いられたことは注目されます。ただし、これは戦後80年に関する記者質問の回答の中で述べられたものであり、文脈上は不自然なものではありません。
さらに言えば、令和7年から8年は昭和100年・戦後80年という節目が重なっているので、陛下が「過去の歴史から謙虚に学び、深い反省と共に」と述べられたのは、むしろ令和7年の戦後80年文脈を引き継いだ発言とも見られます。
「深い哀悼の意」「慰霊」「戦争の悲惨さ」「平和の尊さ」という文言から、これもまた、祈り・慰霊のとしての「深い反省」と言えるでしょう。

昭和100年式典で注目された「深い反省」ご感想

令和8年(2026)4月29日 昭和100年記念式典

ご感想(宮内庁経由、毎日新聞報道)

「過去の歴史から謙虚に学び、深い反省とともに平和を守るために必要なことを考え、将来へとつなげる努力を続けることが大切」との思いで式典に臨まれた

両陛下「深い反省と平和守る努力大切」 昭和100年式典で感想(毎日新聞)

今まで見てきた通り、「深い反省」の文言は、天皇の直接のお言葉として表明されてきました。しかし今回はお言葉はなく、しかも報道により宮内庁が明らかにしたとされる「感想」にとどまる点において明確に異例と言えるでしょう。

お言葉がなかった理由ついての考察はこちら。

また、今回は天皇陛下だけではなく、初めて「両陛下」のご感想として見えるのも注目できます。

昭和と平成以降の「反省」 そのニュアンスの違い

前編から見てきた通り、戦後間もなくから天皇・皇室は「反省」という言葉と長い間向き合ってきたことが分かります。

昭和天皇は独立回復式典で「反省」の語を盛り込むことを強く希望されたものの実現はしなかった。
平成の時代では、その初期における外交の場で「深い反省」が「解禁」された。
しかし結局のところ、天皇の政治利用を懸念し、外交においてこの文言が使用されることはなくなった。
「深い反省」は祈り・慰霊の場に舞台を移し、外交・政治の余地を入り込ませないよう配慮の上で用いられることとなった。

昭和天皇の「反省」

ただし、昭和天皇の反省と、平成以降の反省は同じ語でも性質が違う と考えた方がいいです。

昭和天皇の「反省」は、“自分の時代・自分の在位中に起きた戦争への反省”に近い。
平成以降の「反省」は、“象徴天皇として、戦争を繰り返さないための反省”に近い。

という違いがあります。
昭和27年の独立回復式典で昭和天皇が入れたがった「反省」は、どうしても昭和天皇本人の戦争責任問題と隣り合わせになります。

なぜなら、先の大戦は昭和天皇の在位中に始まり、敗戦も昭和天皇の在位中に起きたからです。
たとえ周囲が「天皇に戦争責任はない」と言ったとしても、明治憲法のもと、国政を総攬そうらんし、陸海軍を統帥する大元帥だったわけですから、どうあっても全くの責任無しでいるのは難しいわけです。

しかも田島道治『昭和天皇拝謁記』では、昭和天皇が「反省という字を入れたい」と希望しただけでなく、「私にも反省は沢山ある」という趣旨の発言をしていたとされます。つまり、完全に一般論としての反省ではなく、少なくとも本人の内面では 自分自身にも関わる反省 だった可能性が高いです。

平成以降の「深い反省」

一方、平成の天皇陛下(上皇陛下)は戦争を始めた当事者ではありません。
上皇陛下は昭和8年生まれで、終戦時はまだ少年でした。したがって、

平成における「深い反省」は、当事者としての開戦責任や統治責任というより、

戦争を経験した世代の記憶を継承する
国家として同じ過ちを繰り返さない

という象徴的・倫理的な意味での反省と見るべきです。

そのため、平成に入ると、「反省」という言葉は、天皇の戦争責任というよりも、過去の歴史を顧み、平和を願う象徴天皇の言葉として用いられる余地が生まれたといえます。だからこそ、平成初期の訪中や韓国大統領歓迎晩餐のような外交の場でも利用される可能性が生まれたのでしょう。ただ、結果的にこの表現は政治的意味を帯びることになり「失敗」とも取れる結果になったのですが。

まとめ 

深い反省」は、単なる謝罪の文言ではありません。

誰が、どの立場で、どの場において語るかによって、その意味は大きく変わるのです。
昭和では語ることが許されず、平成初期では外交の場で語られたこの言葉は、戦後70年以降、全国戦没者追悼式という慰霊と祈りの場に位置づけ直され、令和でもこれを踏襲しています。

そして今後は、その言葉をいかに継承し、天皇の言葉として、いかにその重みを保つのかが問われているのではないでしょうか。

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