【入門編】旧宮家とは何か?なぜ今議論されているのか【皇位継承問題】

天皇陛下

将来にわたる安定的な皇位継承と、皇族数の確保のため、国会での審議が期待されている皇室典範の改正。

高市早苗総理は令和8年(2026)4月の党大会において「『皇族には認められていない養子縁組を可能とし、皇統に属する男系男子を皇族とする』案を第一優先」とすることを明言(4月12日(日) 第93回党大会 総裁演説)

いわゆる「旧宮家養子案」への関心が高まっています。

ここでは、そもそも「旧宮家とは何なのか」「なぜ今議論されているのか」について基礎的なことをまとめていきます。

そもそも「宮家」とは?

『日本大百科全書』の「宮家」の項には以下のようにあります。

宮家

皇族で天皇から宮号を賜った家。(以下略)

日本大百科全書 宮家

令和8年現在の宮家は、

  • 秋篠宮家
  • 常陸宮家
  • 三笠宮家
  • 高円宮家

の4家があります。

宮家とは、皇族が結婚や成人を機に独立して一家をなす皇族の家を指す一般的な呼び方です。
そして、これらの宮号はすべて天皇から賜ったもので、平安時代末期以来の皇室の伝統として存続してきたものです。

宮家は、一般の「家」で例えると、天皇が「本家」で、宮家は「分家」であるといえます。

例えば、上皇陛下の第1皇子である、今上陛下が「本家」とすると、弟である秋篠宮皇嗣殿下の「秋篠宮家」が「分家」であるといえます。

「秋篠宮」の宮号は、平成2年(1990)6月29日に当時の文仁親王殿下がご結婚を機に独立され、父の天皇陛下(現在の上皇陛下)から賜ったものです。

宮家宮号を賜った人宮号を賜った時期きっかけ補足
秋篠宮家文仁親王平成2年(1990)6月29日ご結婚上皇陛下の第2皇子・礼宮文仁親王が紀子妃と結婚し、それに伴って「秋篠宮」の宮号を賜り、宮家を創設。
常陸宮家正仁親王昭和39年(1964)9月30日ご結婚昭和天皇の第2皇子・義宮正仁親王が津軽華子さんと結婚した日に、「常陸宮」の宮号を賜り、宮家を創設。
三笠宮家崇仁親王昭和10年(1935)12月2日成年式・成人大正天皇の第4皇子・崇仁親王が成年に際して「三笠宮」の宮号を賜り、宮家を創設。
高円宮家憲仁親王昭和59年(1984)12月6日ご結婚三笠宮崇仁親王の第3王子・憲仁親王が久子妃と結婚した日に「高円宮」の宮号を賜り、高円宮家を創設。

また宮号は、その宮号を賜った皇族1人だけの称号であり、その配偶者や子は宮号を名乗ることはできません。皇族には苗字がないため、例えば「秋篠宮 悠仁」のように便宜上、宮号を苗字的に用いることはありますが、本来は宮家の当主だけが持つ称号です。

宮家の役割は何なのか?

宮家は天皇から見て「分家」と書きましたが、歴史的に担ってきた重要な役割があります。

皇統のスペア

宮家は「分家」なので、天皇と同じ血を分けています。なので、万が一、天皇のもとに男子が生まれない場合でも皇位を断絶させることなく、宮家から天皇を出すことができるのです。

つまり、天皇の直系に男子がいなくても、同じ皇統に属する男性の皇族がいることで、皇位継承を補完することができたのです。

秋篠宮皇嗣殿下は今上陛下の弟で、父母を同じくしているため、血統としては全く同じです。なので、やや俗な言い方をすれば、宮家は「皇統のスペア」といえるのです。

ですが、前掲の「皇室の構成」を見ると分かるように、常陸宮殿下は令和8年現在で90歳のご高齢であり、三笠宮家と高円宮家には男子がおられません。これは将来的には宮家の断絶を意味しており、このことから秋篠宮家以外には「皇統のスペア」としての役割を果たすことができないのが現状です。

宮家から天皇に即位した歴史上の実例

実際に、宮家から天皇に即位した実例があります。

実例その① 伏見宮家から後花園天皇

伝後花園天皇像 画像:Wikipedia

室町時代、第101代称光しょうこう天皇には皇子がなく、後継者がいないまま崩御しました。そこで、伏見宮貞成さだふさ親王の王子・彦仁王が、後小松上皇の猶子ゆうし(実子ではない人物を「子のように扱う」擬制的な親子関係のこと。養子との違いは割愛)という形で皇位を継ぎ、第102代後花園天皇となりました。

これは、天皇の直系に皇位継承者がいなくなったとき、宮家が皇統を補完した代表的な例といえます。

実例その② 閑院宮家から光格天皇

光格天皇像 画像:Wikipedia

江戸時代、第118代後桃園天皇には皇子がなく、若くして崩御したため、閑院宮典仁かんいんのみやすけひと親王の王子・師仁親王が後桃園天皇の養子となり、第119代光格天皇として即位しました。

これも後花園天皇と同じく、直系に皇位継承者がいなくなった際、宮家が皇統を補完した代表的な例です。

なお、光格天皇以降、今上陛下まではすべて直系で皇位を継承してきたため、現在の皇室はすべて閑院宮家からの直系子孫にあたられます。

それでは、旧宮家とは?

簡単に言えば、「かつて存在した宮家」です。「旧皇族」と呼ばれることもあります。
現在の皇位継承問題で「旧宮家」と言う場合、多くは、昭和22年(1947)10月14に皇籍を離脱した11宮家のことを指しています。

11宮家一覧

宮家読み創設年特記事項
伏見宮ふしみのみや応永16年(1409)頃旧宮家の宗家。伏見宮家から後花園天皇が出ており、皇統を補完した代表例。
山階宮やましなのみや元治元年(1864)
梨本宮なしもとのみや明治3年(1870)
久邇宮くにのみや明治8年(1875)香淳皇后の実家。朝香宮・東久邇宮などの源流にもなる。
北白川宮きたしらかわのみや明治3年(1870)のち竹田宮がここから分かれる。
閑院宮かんいんのみや宝永7年(1710)光格天皇の出身系統
賀陽宮かやのみや明治25年(1892)久邇宮系。明治33年(1900)に宮家を創立したとする説明もある。
東伏見宮ひがしふしみのみや明治36年(1903)
朝香宮あさかのみや明治39年(1906)
東久邇宮ひがしくにのみや明治39年(1906)東久邇宮稔彦王は戦後、首相を務めた
竹田宮たけだのみや明治39年(1906)北白川宮系。

以上が旧宮家の内訳であり、昭和22年の皇籍離脱時には51人の皇族がいらっしゃいました。

ただし、これら11宮家が現在もすべて家系として続いているわけではありません。すでに断絶している家、または高齢などにより男系での継承が困難とされる家もあります。

現在、旧11宮家の方、及びその子孫は「国民」であるため、各家の現況については公的に一覧化された資料が限られる関係上、本稿では詳細には立ち入りません。旧宮家養子案で重要なのは、個別の宮家名そのものよりも、「皇統に属する男系男子の子孫」が現在も存在するかどうかという点です。

敗戦後、皇籍離脱を余儀なくされた旧宮家

このように、戦後間もなくまで宮家の数、皇位を継承できる男子の人数は十分に多く皇統が断絶する状況というのはあまり想定のできないことでした。

しかし、敗戦後の占領下で皇室の規模は大きく削られ、先述の通り、昭和22年にこれらの11宮家51名の皇族方は皇籍を離脱しました。

形式上はあくまでも皇室会議による決定でしたが、当時の状況を考えれば、必ずしも離脱する皇族方の自由な意思だけによるものとは言いにくく、占領政策のもとで行われた事実上の強制措置ともいえます。令和3年(2022)に行われた、皇室典範改正に関する有識者会議のヒアリングでも、戦後の皇籍離脱について「人為的、強制的になされた」「昭和天皇や御本人たちの意思に基づくものではない」とする意見が紹介されています。

⭐️参考 報告 令和3年12月22日 「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案 に対する附帯決議」に関する有識者会議

なぜ今議論されているのか

皇統断絶の危機が起きるかもしれない

現在議論されている「旧宮家の男系男子を皇族の養子に迎える案」は、まさにこの旧宮家の存在を前提にしたもので、今この議論が行われている理由は

数十年後に起きるかもしれない皇統断絶の危機に備える

必要があるからです。

今上陛下には男子がおられず、また「皇統のスペア」の項で述べた通り、今の皇室には秋篠宮家にしか次の世代に皇位を継承できる男子がおられないのが現状です。もしも悠仁親王殿下のもとに男の子が生まれなかった場合、皇位を継承できる男子は1人もいないことになります。

つまり、この危機を回避し、男系の男子による皇位継承をこれからも安定的に続けていくためには旧宮家の存在はなくてはならない、ということになります。

この議論の文脈において政府・国会で使われる「皇統に属する男系男子」という表現も、具体的には、こうした旧11宮家の男系男子孫を念頭に置いたものといえます。衆議院資料でも、自民党の発言概要として「養子の対象者は、旧11宮家の男系男子孫の方々」と整理されています。

参考:「皇族数確保のための第2案『皇統に属する男系男子を養子に迎えること』」に対する各党・各会派の意見の要点(衆議院資料)

将来的に皇族数の減少も大きな問題に

このまま無策でいた場合、皇族の人数そのものが減少していくことになります。

すでにご高齢の方も多い上に、皇室典範の規定により、女性の皇族は国民との婚姻により皇籍を離れることになっています。よって、これまで皇族が担ってこられたご公務に今後は取り組むことができない、または難しくなることが想像されます。

この問題に対応するために「女性皇族が婚姻後も皇籍を保持する」いわゆる「女性宮家」案も取り上げられていますが、旧宮家養子案であれば、皇族数の減少に対応しつつ、将来的には男系による皇位継承の安定化にもつながり得ます

まとめ 宮家の役割を改めて考える

以上、現在の宮家、旧宮家、そして「なぜ今議論されているのか」について入門編としてまとめてきました。

令和の今、宮家が単なる「分家」ではなく、長い歴史の上で常に担ってきた「皇統のスペア」としての役割が期待されています。

天皇陛下以下皇室の皆様、特に次代の皇室を担われる悠仁親王殿下が安心されるように、速やかに制度を整えるべきだといえ、その点において皇室の抱える課題について関心が高まり、日本がようやく高市総理を中心に「旧宮家養子案」を第一優先として、前向きに議論される段階になったことはとても良いことだと思っています。

今後の議論の進展に大いに期待しています。

旧宮家に関する書籍

『旧皇族の宗家・伏見宮家に生まれて』伏見博明
『少年皇族の見た戦争』久邇邦昭

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