昭和22年(1947)10月14日、11宮家51方が皇籍を離脱
戦後皇室の先細りを考えるうえで、まず押さえておくべき出来事があります。昭和22年(1947)10月14日に、GHQの占領政策の影響下により11宮家の51方が皇籍を離脱したことです。
あくまでも、皇室典範の規定による自発的な皇籍離脱ということになっていますが、戦後という特殊な状況を考慮すれば、必ずしも51方全員が積極的に皇室を離れたとは言えません。
51方中、男子は26方であり、皇籍離脱までの短い期間とはいえ、現行憲法と現行皇室典範のもとで皇位継承資格を有していました。現在の皇族数減少と皇位継承問題は、元を辿れば日本の敗戦が始まりになっているのです。
誰も予想できなかった偶然
皇室では9人連続で女子が誕生した
昭和40年(1965)に礼宮文仁親王殿下(現在の秋篠宮皇嗣殿下)が誕生された後、平成18年(2006)に悠仁親王殿下がご誕生になるまで、皇室では長く女子の誕生が続きました。
清子内親王殿下から敬宮愛子内親王殿下まで、実に9人連続です。
| 順 | 名前 | 生年月日 | 両親 |
|---|---|---|---|
| 1 | 清子内親王/紀宮 | 昭和44年(1969)4月18日 | 明仁親王・美智子妃 |
| 2 | 彬子女王 | 昭和56年(1981)12月20日 | 寬仁親王・信子妃 |
| 3 | 瑶子女王 | 昭和58年(1983)10月25日 | 寬仁親王・信子妃 |
| 4 | 承子女王 | 昭和61年(1986)3月8日 | 憲仁親王・久子妃 |
| 5 | 典子女王 | 昭和63年(1988)7月22日 | 憲仁親王・久子妃 |
| 6 | 絢子女王 | 平成2年(1990)9月15日 | 憲仁親王・久子妃 |
| 7 | 眞子内親王 | 平成3年(1991)10月23日 | 文仁親王・紀子妃 |
| 8 | 佳子内親王 | 平成6年(1994)12月29日 | 文仁親王・紀子妃 |
| 9 | 愛子内親王/敬宮 | 平成13年(2001)12月1日 | 徳仁親王・雅子妃 |
これはもちろん、どなたかの責任ではありません。「神の悪戯」と言う他はないでしょう。
しかし、制度という観点から見るとこの偶然は非常に重く、皇位継承資格者は増えず、婚姻で皇籍を離れることにより皇族数そのものが減少していきます。
単純な確率だけで言えば、男女が半々だとして、9人連続女子は512分の1です。もちろん現実の出生性比は完全な半々ではないですが、それでもかなりの低確率です。
さらに、男子皇族の系統も続かなかった

昭和天皇には弟宮に秩父宮・高松宮・三笠宮の3宮家がおられましたが、秩父宮・高松宮には子がおられず、三笠宮には男子が3方(寬仁親王・桂宮・高円宮)おられたものの、寬仁親王と高円宮には女子がお生まれになりましたが、男子はおられず、桂宮は生涯独身であられました。
また昭和天皇の第2男子であり、上皇陛下の弟宮・常陸宮殿下にも子がおられません。
そして、今上陛下にも男子がおられません。
また、三笠宮の3親王方はいずれもすでに薨去され、皇族数減少という見地からも大変残念であったと言えます。
| 名前 | 生年月日 | 薨去年月日 | 年齢 |
|---|---|---|---|
| 寬仁親王 | 昭和21年(1946)1月5日 | 平成24年(2012)6月6日 | 66歳 |
| 桂宮宜仁親王 | 昭和23年(1948)2月11日 | 平成26年(2014)6月8日 | 66歳 |
| 高円宮憲仁親王 | 昭和29年(1954)12月29日 | 平成14年(2002)11月21日 | 47歳 |
これもまた、誰かを責める話ではありません。ですが結果として、ことごとく皇室の枝は広がりませんでした。
皇室制度が偶然に耐えられなかった
戦後、新たな皇室典範が制定されてから現在に至るまで、誰がこうなることを予想できたでしょうか。
男子が生まれないこともある。
子に恵まれないこともある。
若くして亡くなることもある。
それ自体は、どの家にも起こり得ることです。
しかし、一般の家では「そういうこともある」で終わるところを、皇室では、それが国家制度の継続問題になってしまいます。
こうなった原因は1つではない
今、皇族数が減少しているのは
- 旧宮家の皇籍離脱
- 女性皇族が9人連続出生→婚姻による皇籍離脱
- 天皇・皇族の養子禁止
- 男子の系統の断絶
- 社会背景としての少子化・人口減少
これらが全部重なった結果です。
戦後皇室典範は、偶然に耐えられず、社会構造・価値観の変化にも耐えられない構造になっているのです。
最大の問題は、国民に判断材料が与えられていないこと
平成18年(2006)、悠仁親王殿下のご誕生により、当時の小泉内閣のもと女性・女系天皇容認へ向かっていた皇室典範改正は凍結されました。この凍結自体は、安易な女性・女系容認へ流れかねなかったことを考えれば必要なブレーキであったとも言えるでしょう。
しかし、本当の問題は、その後に男系を維持していくための制度整備が行われなかったことであり、そしてさらに根本には、憲法第1章に天皇を置きながら、国民に天皇・皇統・皇位継承・歴史について十分に教えてこなかった戦後日本の不作為があります。これが最大の問題であると言えます。
国民の正しい理解がなければ、皇位継承問題はまともに議論できません。ですが、その理解を育てる努力を国はしてきませんでした。本来、「国民の総意」に基づくのが天皇であるなら、その国民に対して、天皇とは何か、皇位継承とは何か、男系とは何かを、もっと丁寧に教えておく必要があったのです。
でも国はそれをしてこなかった。今こうなっている現状は、国民が悪いというより、そもそも判断材料を与えられてこなかったからと言ってもいいでしょう。
結果として、安易に女性・女系論に流れる危険があるため議論を凍結せざるを得ず、しかし凍結すれば制度整備は進まないという、極めて不健全な状況が生まれたのです。
令和8年になり、ようやく皇族数確保に関わる皇室典範改正の見通しが立ってきましたが、将来の安定的皇位継承に直接関わる「旧宮家養子案」を実現させたくても、養親として自然な受け皿となり得る皇族はご高齢であられるなど、時期を逸すれば制度そのものが宙に浮きかねない状況になっています。
この事については以下の記事で詳しく触れていますので、よかったらご覧ください。

まとめ:制度で備えるしかない
皇室の先細りは、誰か1人の責任ではありません。皇族数減少と皇位継承問題は「偶然」によって危機を迎えました。女子のご誕生が続いたことも、男子皇族の系統が続かなかったことも、人の力でどうにかできるものではありません。
しかし、制度は本来そうした偶然に備えるためにあるものです。


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