【反論】皇室に「男女平等」を持ち込むと何が起きるのか?【女性天皇】

女性皇族の身分保持案
男女平等「世界117位」の日本、古代は先進国だった? 16代の天皇のうち8代が女性だった「女帝の時代」|日本の皇族存続への危機と「愛子天皇待望論」
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今回は、『日刊ゲンダイ』の9月22日、「宗教学者、作家」の島田裕巳の記事
「男女平等『世界117位』の日本、古代は先進国だった? 16代の天皇のうち8代が女性だった『女帝の時代』」

一言で要約すると、島田氏の記事は、
「現代日本の皇室制度は男女平等の面で遅れているが、古代日本では女性天皇が多く、むしろ先進的だった」という主張です。

これについて感想・反論・検証していきたいと思います。

1 意味不明な島田氏の男女平等論

 日本では、皇室典範が改正され、その施行が来月に迫っているが、今回の改正は、旧宮家の男子を養子にすることを可能にするという点で、むしろ男女平等からは後退するものであった。皇室のあり方は、日本が男女平等において世界に遅れていることを示す「象徴」であるとも言える。

記事から引用。以下同じ。

島田氏は、旧宮家養子縁組制度の成立は男女平等から後退するものと主張しています。
まず大前提として、今回の皇室典範改正は「皇族数の確保」であり、男女平等を目指したものではありません。

しかし、あえて「男女平等」という点から考えてみても、「後退」という評価は怪しいと思います。
なぜなら、同時に、女性皇族(内親王・女王)が婚姻後も皇籍を保持する制度が成立したからです。
この点、男性皇族と待遇が揃えられたことになり、男女平等さはむしろ向上したのではないでしょうか。

それにしても、
「皇室のあり方は、日本が男女平等において世界に遅れていることを示す『象徴』である」とは、
「皇室は男女不平等の象徴」「皇室は日本の女性蔑視の象徴」ということでもあり、皇室に対し非常に敬意を欠いた発言だと思います。


2 古代に女性天皇が多かったから「先進国」とは??

 しかし、古代のことを振り返ってみるならば、むしろ日本は先を行っていた。それを象徴し、飛鳥時代から奈良時代にかけては女帝が次々と輩出された。その時期、16人の天皇が在位したが、うち8代は女性だった。

(中略)

日本の方が中国や朝鮮より、女帝の出現する割合は高かった。それも、古代の日本においては、男性と女性が平等に天皇の位に就く「双系」の伝統が確立されていたからだ。

島田氏は古代には多くの女性天皇が登場したため、男女平等であったとしています。
タイトルではこれを理由に「先進国」とまで言っています。

これは思うに、飛鳥・奈良時代の天皇系図を見ただけで「女性天皇が多いから平等だ!」と言っているに過ぎず、果たして当時の事情や女性天皇それぞれの即位事情を検討しているのかは大いに疑問です。

この時代、女性皇族(特に皇后と皇女)に皇位を継承する資格があったこと自体は事実です。
ですが、だからといって当然に男性の天皇と平等に即位していたとするのは誤りです。

古代の女性天皇

古代の女性天皇がどのような流れで即位したのか一例を見てみましょう。
古代史には不明な点や、推測に頼らざるを得ないものも多いので、有力な研究や通説に基づいて考えてみます。

たとえば推古天皇

推古天皇は歴代初の女性天皇で、飛鳥時代に在位しました。
即位前の名は額田部ぬかたべ皇女で、敏達天皇の皇后でした。

当時、欽明天皇の子供達が兄弟間で皇位を継承する流れがありました。
最初に敏達天皇、その崩御後に弟の用明天皇が即位。
用明天皇が即位わずか2年後に病没したため、その弟の崇峻天皇が即位。
その崇峻天皇は蘇我馬子の一味により暗殺されたために、皇位は空になってしまいました。

『日本書紀』推古天皇の即位前紀にもこの時、
「天皇爲大臣馬子宿禰見殺,嗣位既空。」
「崇峻天皇は蘇我馬子大臣に殺され。皇嗣はすでに空位であった」とあります。

この時の有力な皇族としては、
・敏達天皇の長子(推古との子ではない)の押坂彦人大兄皇子がいましたが、蘇我氏との血縁関係を持たない皇子は継承から排除されていたと見られます。
・欽明天皇の皇子の穴穂部皇子は物部氏に擁立されて皇位を狙いましたが、蘇我氏に排除されました。
・用明天皇の皇子である厩戸皇子(聖徳太子)は推古天皇の即位時点で20歳頃とされ、若年であることを理由に即位は見送られたとされます(当時、皇位を継承するには30歳以上であることを要する不文律があったと研究されている)。推古天皇の即位直後に立太子。
・また、推古天皇には敏達天皇との間に竹田皇子がいましたが、やはりまだ若かったとされています。

まとめると、
用明・崇峻の予想外の死によって皇位継承が短期間に繰り返され、穴穂部皇子もすでに排除されていた。次世代の厩戸皇子や竹田皇子はまだ若い。そこで、敏達天皇の皇后として政治経験があり、欽明天皇の皇女でもあった額田部皇女が群臣によって推挙された。
という流れになります。

つまり、想定外の出来事や当時の政治的事情が大きく絡み、空位が生まれた結果、推古天皇という女帝が生まれたのであり、現代的な「男女平等」の考え方が当然にあったとはまったく言えません。

頭数あたまかずだけ見て「男性と女性が平等に天皇の位に就く」伝統があったと島田氏は言いますが、そんなに単純ではありません。

他の古代の女性天皇についてもほぼ同様で、女帝の即位事情は、本命の男子が成熟するまでの間、他系統の皇族を皇位につかせることを阻止するために即位したというものでした。


3 女帝を認めることは理想的な「男女平等」になるのか

ここはそもそも論なのですが、現代に女性天皇を実現させることは、本当の意味で理想的な男女平等になり得るのでしょうか?

「1」で僕は、女性皇族の婚姻後身分保持制度が成立したことを取り「男女平等さはむしろ向上した」と言いました。
しかし、これは「女性皇族は婚姻により皇室を離れ、一般国民となる権利が失われた」と言い換えることもできます。

制度としては、婚姻のほか自らの意思で皇籍を離れることも可能(皇室典範11条など)ですが、これは旧11宮家が昭和22年(1947)に皇籍を離脱する際に適用されて以来例がなく、実質的には婚姻が一般国民となるための唯一の手段だったと言って良いでしょう。

つまり、女性皇族はこれからは男性皇族と同じ制約のもと、基本的には一生皇族として生き続けなければならないこととなったわけです。これは男女を等しくするという意味では確かに「平等」ですが、「理想的な形」と言えるでしょうか?

皇位の継承は権利ではなく義務

皇位継承議論においては、しばしば「皇位継承権」という言葉が使われます。
しかし、皇位の継承は皇室典範に基づき、継承順が第一位の皇族が前天皇の崩御にともなって「直ちに即位する」とあり、本人の意思を問う構造にはなっていません(第四条)。

第三条では、皇位継承の順序を変更できるとありますが、これには心身の「不治の重患」や「重大な事故」という極めて例外的な事情が求められ、皇嗣が単に「即位を望まない」ことを念頭にして置かれた条文ではありません。

つまり、皇位の継承は権利ではなく、強制に近い義務です。
これは婚姻後の女性皇族の身分保持よりもさらに重い問題で、女性天皇を認めることは、「女性にも天皇になる機会を与える」という権利拡張というよりも、男性皇族と平等に、皇位継承から自由に降りられない立場に女性皇族を置くことを意味します。

これは「悪平等」呼べるものではないでしょうか。


4 「女性天皇は前例があるから可」は危険

側室は長く続いてきましたが、これの復活に賛成する人はほぼいないでしょう。

これは保守寄りの人が特に気を付けなければいけないことですが、
「女性天皇は過去に前例があるのだから認めてもよい」
という意見は危ないと思います。

性別に関係なく直系の長子に継承するという考えは確かに直感的に分かりやすく、継承に恣意的な判断が入り込みづらいという点で「メリット」ではあるでしょう。

ですが、女性天皇の前例そのものはあっても、
女性天皇が一般の国民と結婚し、子をもうけ、さらにその子が皇位を継承した事例は皆無です。
天皇に即位する前に結婚した例はありますが、その夫はすべて天皇または皇族です。
さらに、元正天皇以降はすべて「生涯未婚」です。

女性天皇婚姻歴夫夫の出自即位時
推古天皇あり敏達天皇皇族。欽明天皇の皇子。推古天皇とは父を同じくする異母兄妹敏達天皇崩御後の未亡人
皇極天皇/斉明天皇あり高向王、のち舒明天皇高向王=皇族、用明天皇の孫。舒明天皇=皇族、押坂彦人大兄皇子の子舒明天皇崩御後の未亡人
持統天皇あり天武天皇皇族。舒明天皇・皇極天皇の皇子。持統天皇の父・天智天皇の弟天武天皇崩御後の未亡人
元明天皇あり草壁皇子皇族。天武天皇・持統天皇の皇子。皇太子草壁皇子薨去後の未亡人
元正天皇なし――生涯未婚
孝謙天皇/称徳天皇なし――生涯未婚
明正天皇なし――生涯未婚
後桜町天皇なし――生涯未婚

つまり、現代に女性天皇を誕生させた場合、配偶者や、その次の代が必ず問題になるわけです。

前例にならって生涯未婚とする、または子をもうけることを禁じれば「人権侵害」という非難は免れないでしょう。
だからといって、前例にないことをすれば126代続いてきた継承原理は失われることとなります。

女性天皇はそういう意味で「前例はあるが、現代では実現が厳しい」例です。
現代に合わせて前例を取捨選択をするのは正しいあり方であると思います。


まとめ 平等とは本当に望ましいことなのか

古代に多くの女性天皇が存在したことは事実です。

しかし、その即位には男子皇族の早世や若年、皇后としての地位、当時の政治状況など、それぞれ具体的な事情がありました。単に人数だけを見て「古代日本は男女平等だった」と評価するのは適切ではありません。

また、皇室における「男女平等」は、必ずしも女性の自由を広げるとは限りません。女性皇族の婚姻後の身分保持や女性天皇の実現は、男性皇族が負ってきた身分上の制約や皇位継承の責務を、女性にも等しく負わせることにもつながります。

そして、過去に女性天皇の前例があるからといって、それをそのまま現代に再現できるわけでもありません。

歴史上の前例は重要な参考材料ですが、現代の皇位継承制度は、皇統の継承原理、皇族の自由や責務、配偶者や子の身分などを含め、現在の条件のもとで考える必要があります。

「男女平等」という言葉だけで結論を出すには、皇位継承という制度はあまりにも複雑なのです。

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