【考察】なぜ高森明勅氏は「暫定皇嗣論」をゴリ押しするようになったのか【愛子天皇】

感想、反論

前回に引き続き、今回も『プレジデントオンライン』9/9、高森明勅氏の記事、
「やっぱり「愛子天皇待望論」を無視できなかった…皇室研究家が高市首相の「異例の長文投稿」に読み取った”焦り”」
について取り上げます。

やっぱり「愛子天皇待望論」を無視できなかった…皇室研究家が高市首相の「異例の長文投稿」に読み取った”焦り”(プレジデントオンライン) – Yahoo!ニュース
高市早苗首相は9月5日、自身のX(旧ツイッター)に、8月に成立した改正皇室典範について長文の投稿を行った。皇室研究家で神道学者の高森明勅さんは「この投稿は一言でいえば『今回の皇室典範の改正で「女性天

前回書いたように、高森氏は「暫定皇嗣論」をゴリ押しし、「立皇嗣の礼」という儀式の意義を過小評価しています。

高森氏は何故ここまで強硬に皇嗣殿下の地位を暫定と断じて、「愛子天皇」に執着するのでしょうか?
今回は高森氏の経歴やこれまでの主張からその答えを考察していきたいと思います。

なお、高森氏個人の人格を攻撃する意図はありません。

前回の記事


まず結論 高森氏はどうしてこうなったのか?

僕の答えを一言で言うと、
「平成17年『皇室典範に関する有識者会議』の結論が実現せず、その後も自説に不利な現実が積み重なった結果」
だと考えます。

高森氏は当時の有識者会議に、皇室研究の専門家としてヒアリングに応じています。
そして有識者会議の、女性天皇・女系天皇への道を開いた結論について「ほぼ完璧な回答」と極めて高く評価しています。

ところが、この有識者会議報告は翌年の悠仁親王殿下のご誕生により事実上凍結されました。彼にとって、「ほぼ完璧」な結論を盛り込んだ内容が、実現直前でなかったことにされたのは「大きな挫折」であったと思います。

そして、悠仁殿下が誕生されても、今上陛下即位後、秋篠宮殿下に立皇嗣の礼が挙行された後になっても、自説を修正することなく、むしろ自説を守るために、これらが積み重なった不都合な現実を極限まで低く評価する必要が生じることになってしまいました(これが「暫定皇嗣論」として現れる)。

その経過の中で、もともとは「皇統断絶への危機感」から始まったはずの彼の女性天皇・女系天皇論は、次第に「愛子天皇こそが唯一の答えである」という主張へと収斂していったように見えます。

さらに現在では、政治的な立場を有せず、皇室制度、特に皇位継承制度についてのお言葉を極めて慎重に控えられている天皇陛下や皇族方のご意思まで「拝察」し、自説を補強するための素材として利用する段階にまで来てしまっています。

この裏には、20年以上も継続的に掲げてきた自説を「今更になって修正できない」という「サンクコスト効果」があるのではないでしょうか。

これが平成17年有識者会議以来の高森氏の現状ではないかと考えています。


1 高森氏の経歴、研究歴、刊行物など

高森氏は平成17年有識者会議からさかのぼること15年以上も前から継続して日本古代史、大嘗祭などの祭祀・儀礼の研究を行い受賞し、その後は皇位継承の研究を行い、これを一般に明らかにする著書を刊行し、さらに「新しい歴史教科書をつくる会」の主要メンバーにもなっています。

つまり、相当に評価され、実績のある研究者だったことが分かります。

経歴・著作など皇位継承論との関係
昭和32年(1957)岡山県倉敷市に生まれる
昭和~平成初期國學院大學文学部卒、同大学院博士課程単位取得。神道学・日本古代史を専攻し、國學院大學日本文化研究所研究員などを務める皇位継承儀礼の研究から出発。特に大嘗祭を研究し、神道宗教学会奨励賞を受賞。現在の皇位継承論につながる研究上の出発点。 (高森明勅公式)
平成2年(1990)頃『天皇と民の大嘗祭』刊行大嘗祭の成立以前の王権継承などを扱い、古代の皇位・王権継承を歴史的に研究。(Books)
平成9年(1997)頃~「新しい歴史教科書をつくる会」設立当初の頃から活動。のち事務局長・理事などを務め、歴史教科書の執筆にも参加皇室研究だけでなく、歴史教育・歴史認識をめぐる社会的な言論活動にも深く関わるようになる。(つくる会公式
平成16年(2004)『正論』で双系継承の必要性を訴える「男系主義の伝統を超えて」と題して双系継承を提唱。
平成17年(2005)小泉内閣の「皇室典範に関する有識者会議」で専門家としてヒアリングを受ける会議の意見聴取を受けた8人の専門家の一人。女性・女系への皇位継承資格拡大をめぐる議論に直接関与する。 (高森明勅公式)
平成17年頃拓殖大学客員教授、防衛省統合幕僚学校「歴史観・国家観」講座などを担当古代史・皇室だけでなく、「国家観」「歴史観」をテーマとした教育・言論活動にも携わる。
平成23年(2011)秋~「新しい歴史教科書をつくる会」副会長団体運営の中枢にも入っていた。(つくる会公式
平成24年(2012)『歴史で読み解く女性天皇』刊行歴史上の女性天皇や皇統を検討し、男系男子のみを日本の皇位継承の本来的原則とする見方に異論を提示。父方・母方双方を重視するという「双系」的理解を展開する。(Books
平成26年(2014)論考「『万世一系』のための女系継承」発表女系継承を皇統維持と両立するものとして論じる。高森氏の皇位継承論の立場が明瞭に表れた論考。 (国立国会図書館サーチ(NDLサーチ))
令和3年(2021)『「女性天皇」の成立』刊行日本の皇統を「男女双系」と捉え、女性・女系天皇を認める皇室典範改正を主張。 (Books)

高森氏の基盤となる理論 「古代の皇位継承は『双系』である」

彼は遅くとも平成16年(2004)までには、古代日本の皇位継承を男系一辺倒ではなく、父母双方の血統を重視する「双系」的なものと捉え、これをもとに長年にわたり女性・女系天皇を容認すべきだと主張してきました。

筆者(みちのく)はこの「双系論」には多くの問題があると考えていますが、今回はそこには立ち入りません。
重要なのは、この高森氏の皇位継承論が平成17年の有識者会議以後から現在に至るまで彼の固い基礎となり続けていることです。


2 平成17年有識者会議が転機になったか

有識者ヒアリングに招聘される

高森氏は平成17年6月8日の第7回「皇室典範に関する有識者会議」で、専門家4人のひとりとして招かれ、神道学・日本古代史学の研究者という立場でヒアリングを受けています。

そこでは次のように発言しています。

[高森明勅(専門:神道学・日本古代史学)]
 皇室典範は皇位継承資格について「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承す
る」と規定しているが、皇位継承資格の「男系男子」という条件を緩和し「女系女子」の継
承も可能にしたほうが良い。
女系継承は、過去、武烈天皇から継体天皇のときにあり、形式
上、明治初期まで存続した養老令では女系の継承を認める規定が存在した。(以下略)

近年の皇位継承をめぐる論議に関する一考察 -「皇室典範に関する有識者会議の報告書」をもとに-(横手逸男、PDF)

このように、女性天皇・女系天皇を可能とすべきことを発言しており、有識者会議の最終的な結論にもそのように盛り込まれました(皇室典範に関する有識者会議 報告書(国立国会図書館デジタルコレクション))

実現直前に報告が「凍結」

しかし、この報告書が政府に提出された翌年9月に秋篠宮家に悠仁親王殿下がお生まれになり、当面の継承危機は去ったとして、同報告書は事実上凍結されました。

これは高森氏にとって失望的であり、大きな挫折だったと見られます。

皇位継承に強烈な危機感を持っていたところに、当時の会議に招かれ有識者として携わり、自らが長年研究し続けてきた「双系論」が「皇室と皇位継承を変え、日本を救う」という形で成就・結実しかけていたところに「凍結」となれば、その失望感は想像に余るものがあります。


3 以来、状況が変化しても自説を維持し続ける高森氏

凍結以後現在に至るまで、高森氏は自説を大きく修正・変更することなく、維持し続けています。

令和4年には、悠仁親王殿下がお生まれになる可能性は2005年当時から「織り込み済み」だったとして、これにより有識者会議の結論が覆ったわけではないという立場を明確にしています。
皇室について初歩的な知識が欠けていた『文藝春秋』掲載記事(高森明勅公式)

令和5年(2023)には、当時の報告書の提言が20年近く放置されてきたことを「異常」と評しています。
「男系男子」限定と限定解除で皇位継承の期待値はどう変わる?(高森明勅公式)

このようにあくまで、平成17年報告が正しいという姿勢をとっています。

皇嗣となられた秋篠宮殿下

「暫定皇嗣論」が生まれたのは、上皇陛下が平成31年(2019)4月で譲位され、今の天皇陛下が同年の令和元年5月に即位されたことにより、秋篠宮殿下が皇嗣になられたことからです。

この事実が何を意味するかというと、
悠仁親王殿下がおられる上で、秋篠宮殿下が皇嗣となられたことにより、愛子天皇はさらに実現が困難になったということです。

ついに始まる「暫定皇嗣論」ゴリ押し

この状況になってもなお、高森氏は自説を変更せず堅持したことになります。

 次の天皇として即位されることが確定している直系の「皇太子」とは異なり、傍系の皇嗣はあくまで“その時点”で皇位継承が第1位という、暫定的・相対的な立場にすぎない

やっぱり「愛子天皇待望論」を無視できなかった…皇室研究家が高市首相の「異例の長文投稿」に読み取った”焦り” より 以下同じ

このように、秋篠宮殿下の「皇嗣」の地位はあくまでも「暫定的・相対的」なもので、典範改正により将来的に変動する可能性があることを強弁します。

筆者が前回の記事(「論理が破綻している「暫定皇嗣論」」)で書いたように、これは大きな間違いで、皇嗣殿下の地位は暫定ではなく確定的な地位です。

立皇嗣の礼が挙行されても食い下がる

そして、「暫定皇嗣論」ゴリ押しをさらに強める決定的な出来事となったと思われるのが、令和2年11月・秋篠宮殿下を「皇嗣である」と天皇陛下が内外に宣明した儀式立皇嗣の礼」です。

高森氏は、

これは、秋篠宮殿下が傍系の「皇嗣」でいらっしゃる事実を、改めて内外に宣明するだけの儀式だ。

と、この儀式は「暫定皇嗣」であることを宣明しただけで、次の天皇を確約したものではないとしています。さらに、

政府は立皇嗣の礼という前代未聞のセレモニーを、わざわざ新しく作り出した。これはなぜか。

 それによって、暫定的な皇嗣にすぎない秋篠宮殿下が、あたかも次の天皇として「確定」したかのような印象操作を狙ったから、としか考えられない。

この儀式を「前代未聞のセレモニー」、政府の「印象操作」と断じ、立皇嗣の礼の意義を最大限に軽く扱います。さらに、

 驚いたことに、立皇嗣の礼で天皇陛下が“秋篠宮殿下が次の天皇である”と宣言された、などと平気で虚偽を言いふらす者も現れた。だが、そんな事実はもちろんない(立皇嗣の礼での天皇陛下のおことばは宮内庁のホームページ参照)。

このように、秋篠宮殿下が皇嗣、すなわち「次の天皇」であると寿ぐ人を指し「虚偽を言いふらす者」と指弾するなど攻撃的な面があらわになっています。

高森氏が「暫定」と断じる根拠は「将来皇室典範を改正するから」という大変に粗いものです。
この理屈が通れば法律によって付与されるあらゆる地位は理論上すべて「暫定」になります。


4 いったいなぜそこまで…?核心に迫ってみる

ごく一般的な考えをとれば、「天皇陛下が儀式で宣言されているのだから、次の天皇は皇嗣殿下なのだ」と自然に理解するのではないでしょうか。
たとえ、「女性天皇を認めても良い」「男系男子絶対には反対」と言う人であったとしても、天皇陛下を尊重するのであれば「次代は決まった」と受け入れるのが普通だと思います。

もちろん法律(皇室典範)は理論上改正は可能ですが、それは国家儀礼とは別次元の問題です。
儀礼の重みは皇位継承と切り離せず、それだけに「天皇陛下のお言葉は重たい」と一般にも理解されているところだと思います。

まして、立皇嗣の礼では天皇陛下と秋篠宮殿下はそれぞれ平安時代初期以来の専用装束「黄櫨染御袍」、「黄丹袍」(皇太子専用の装束)を着用され、儀式の直後には皇太子の守り刀である「壺切御剣」を親授されています(天皇ご一家のご日程・令和2年11月8日(日)(宮内庁))

これが何を意味するのか、どのような重みを持つのかは日本古代史や皇室史に詳しい高森氏であるならば最もよく理解しているはずです。

なぜこれほどまでに「今」に執着するのか

皇嗣殿下が即位されたとしても、その次代を視野に入れて女性天皇・女系天皇を主張することもできるはずです。
しかも直系長子優先をとれば、第一子の小室眞子さんは除外されるとしても、皇嗣殿下には第二子である佳子内親王殿下がおられます。

そうであれば、無理やり「暫定皇嗣論」を貫き、わざわざ立皇嗣の礼を否定しなくても、皇嗣殿下の次の代の女性天皇を主張する方が高森氏にとっても遥かに穏当であるはずなのです。

にもかかわらず、なぜこれほどまでに「今すぐの改正」に執着し、儀式を終えられた皇嗣殿下の地位を変更してまで「愛子天皇」を実現しなければならないのかは奇妙であり、最も理解しがたいところです。

ここまでくると、「愛子天皇」であること自体に意味があるのではと思わざるを得ないのですが、高森氏自身はあくまでも「人物論ではなくルール論としての帰着である」と述べています(「ゆくゆくは愛子(内親王)に天皇になってほしい」とのご発言、高森明勅公式)

ルール論を主張するのなら、今のルールのもとで皇嗣になっている事実や秩序も尊重すべきでは?
と思うのは僕だけでしょうか。


5 そして「拝察」へ

立皇嗣の礼からその後現在に至るまで、皇嗣殿下は「皇嗣」としての公務実績を日々積まれています。
それとともに、現実は高森氏からどんどん遠ざかっていき、「暫定皇嗣論」を貫く困難さ日々増してきているように思います。

そこで高森氏に登場したのが、天皇陛下やその他皇族方のご内心を推測する「拝察」行為です。

高森氏は令和4年3月、
自身の公式サイトで、秋篠宮殿下が皇太子の称号を用なかったことについて、

「秋篠宮殿下の『真意』を拝察するのは、さほど困難ではないのではあるまいか」

と書いています(秋篠宮殿下は何故「皇太子」を辞退され、宮号を維持されたか?)

さらに決定的と言えるのが、その翌年の1月、
「皇位継承問題を考える場合に最低限共有されるべき着眼点」として4項目を挙げ、その第2に「皇室の方々のご真意を謙虚に拝察し、それを最大限尊重する」ことを挙げていることです(皇位の安定継承は皇室ご自身の強いご念願に他ならない)

つまり、この時点の高森氏にとって「拝察」はもはや補助的なものではなく、明確に皇位継承を論じる上での原則になっているということです。

令和7年(2025)の記事では、女性・女系に反対する側を「皇室のご意思に背こうとしている」とし、遂には「女性・女系 VS 男系男子限定」という対立構造に皇室を巻き込もうとしています(皇室のお考えを尊重するか、それに背くかーという対立)。

ここまで来るともはや高森氏は、「研究者」「学者」「専門家」といったものよりも、「運動家」と言った方がしっくりくるような気がします。しかもかなり先鋭化しています。

いやしくも研究者であるならば、安易に陛下や皇族方のご内心の憶測に走らず、今ある「事実」に基づいて論拠を立てるべきだと思うのですが。


6 まとめ サンクコストの恐ろしさ

高森氏は平成17年有識者会議での挫折後、その結論を20年以上も守り続けるうちに、「事実を検討して結論を出す研究者」から、「結論に合わせて事実を解釈する論客」へ変化していったのではないでしょうか。

つまり、秋篠宮皇嗣殿下がおられるなかで愛子天皇を実現させるためには、皇嗣殿下には「暫定であってもらわねば困る」のであり、立皇嗣の礼は「暫定皇嗣を確認しただけであり、実質的には無意味なセレモニーでなければ困る」のです。

サンクコストとは、もう取り戻せない、すでに払ってしまったコストのことですが、
彼が20年以上もかけてきた時間的コスト、知的投資、人的資産などはおそらく膨大でしょう。

これらが積み重なるほどに、自説を修正するというのはかなりの心理的負担が伴います。
まして著書や論評記事で幾度も自説を公表し続けてきた高森氏にとっては、今になっての自説修正はさまざまなリスクを伴うことでしょう。

これは当然高森氏に限った話ではなく、人であればだれもが陥る「」です。
僕もこのような記事を書いている以上、自論が本当に正しいのかについては常に謙虚に顧みる必要があると思っています。

今後も、高森氏がどのような主張を続けていくのかに注目していこうと思います。

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