令和8年(2026)10月24日、改正皇室典範が施行されました。これにより、
旧11宮家の男系子孫のうち、15歳以上、未婚で子のない男子が現在の皇族の養子になることが可能となります。
伏見博明さんは旧皇族
これに先立ち10月16日、旧宮家の宗家・伏見宮家(現・伏見家)の当主であり、自身も旧皇族であった伏見博明さんの自伝、『伏見博明自伝 菊のこころを護り続けて』が刊行されました。
伏見さんは昭和7年(1932)1月26日生まれで現在94歳。
13歳で第24代目の伏見宮家当主となり、終戦後、15歳で皇籍を離脱しました。

今回はこちらの書籍の内容を一部取り上げつつ、報道やSNSで散見される旧宮家への「赤の他人」や「単なる一般国民」といった言説について批判し、旧宮家に対する正しい「国民の理解」とは何かについて考察していきたいと思います。
留意事項
伏見博明さんは旧皇族ですが、自身は新制度の対象ではありません。
また、伏見さんには男子がおられないため同様にその対象とはならないことに留意が必要です。
この書籍は『自伝』であり、制度の賛否について直接言及するものではありません。
1 旧宮家は「赤の他人」という言説
皇室典範改正議論の過程では、旧宮家と現在の皇室との血縁関係の遠さが注目されました。
具体例としては、以下のような見出しを掲げた記事がありました。
このままでは”赤の他人”が天皇になる…島田裕巳「麻生太郎が天皇家の長子より”36親等の養子”を選ぶワケ」
(2026年7月16日付『PRESIDENT Online』の島田裕巳氏の記事)
見出しに「赤の他人」という表現を用い、旧宮家と皇室との関係が希薄であると論じています。

そもそも「宮家」とは何かについて、詳しくはこちら↑の記事で解説しています。
ただ一言だけで言えば、宮家は天皇から別れた「分家」です。
2 旧皇族の宗家・伏見宮家が歩んできた歴史
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皇室の家紋は十六弁の菊の花です。伏見宮家は十四の菊の花弁に「がく」が付いています。〝裏菊〟なんです。伏見宮家は皇室の裏側で支えていくのが使命であり、皇室に何かがあったときのためにあったと言っていいでしょう。
『伏見博明自伝』Kindle版、序章 位置No.26 以下、引用はすべて『伏見博明自伝』から
伏見宮家は、旧宮家の宗家です。
というのも、戦後間もなく伏見宮家と共に皇籍を離脱した10の宮家は、すべて伏見宮家から分かれた宮家だからです。

宮家の「本分」 宮家から2代の天皇が即位した
伏見宮家のルーツは600年以上も前の南北朝時代までさかのぼります。
その初代は、北朝第3代・崇光天皇の皇子の栄仁(よしひと)親王という方でした。
伏見宮から即位した後花園天皇
栄仁親王の子の貞成(さだふさ)親王は第三代伏見宮となり、さらにその王子である彦仁王は、後花園天皇として即位しました。
つまり、伏見宮家から天皇が即位したということです。

後花園天皇の系統は現皇室まで直系で繋がっています。
そして、第4代伏見宮の貞常親王以後、宮家も皇統の傍系として存続してきました。
閑院宮から即位した光格天皇
江戸時代後期に即位した光格天皇も宮家からの即位です。
もとの名を兼仁親王といい、閑院宮家の出身です。
第113代・東山天皇の血を引き、その皇子の直仁親王が初代閑院宮です。
そして、直仁親王の孫にあたる兼仁親王が第119代・光格天皇として即位しました。

光格天皇は今上陛下まで直系で繋がります。
つまり、現在の皇室の系統はもとをたどれば、伏見宮(後花園天皇)→閑院宮(光格天皇)という宮家から受け継がれたものであることが分かります。
なお旧11宮家の「閑院宮家」とは同名ですが系統は別であることに注意が必要です。
伏見宮家は「世襲親王家」
伏見さんは、『伏見博明自伝』で次のように説明します。
(伏見宮第4代の)貞常親王のときに、伏見宮家は、天皇の後継ぎが絶えた場合に備えて親王の地位を世襲する「世襲親王家」となったのです。
第一章「伏見宮家とは」 位置No.34 括弧内青文字は筆者注記、以下同じ
伏見宮家は世襲親王家として何百年もの間、天皇家をお支えするのを務めとしていました。
第七章「旧皇族とは」 位置No.139
はっきりと、「皇室をお支えし、天皇の直系が絶えた時には、宮家から皇位を継承すること」が、宮家に求められた使命、その存在としての本分であったことが読み取れます。
親王は本来、「天皇の男子」という皇族身分ですが、「世襲親王家」は文字通り「親王」の地位を世襲し、「天皇の男子」という親王の定義の外にいる特例的な存在だったと言えるでしょう。
とはいえ、男子が生まれたときに自動的に親王となったわけではなく、当代の天皇の猶子(子とみなすこと)となって擬制的な親子関係を形成することによって「親王」と認められていました。
これが明治時代初頭まで伝統的に行われてきたのです。
3 皇籍離脱後も続く、皇室との特別な関係
『伏見博明自伝』では、旧皇族当事者でしか知り得ない、今に至るまで続く皇室との親密な関係についてつづられています。
──「平民」になっても皇族出身ゆえの活動が続いている
皇室にはいろいろな行事があります。晩餐会とか祭祀とか。そのたびに宮内庁から案内が来ます。よほどの事情がない限り、出席しないわけにはいきません。
皇居内を自由に入ることができる宮内庁発行の特定通行証というのがありましてね…。僕の通行証は番号が「1」番なんです。(中略)
王国を中心とする他国とのお付き合いがあります。駐日大使の食事に招かれます。少し前までは国王に面会するため海外を訪問しました。どの国の国王も大使も日本の皇室に相当な関心をお持ちですね。僕が宮家時代の話をすると、前のめりになって聞かれます。
序章 位置No.22
──皇室の方々とは現在も個人的な関係が続いている
序章 位置No.22
上皇さまが学年で僕の二つ下です。学習院初等科に上皇さまが入学されてから今日まであらゆる機会でよいお付き合いをさせていただいております。
新型コロナウイルスの感染拡大が収まり、上皇さまご夫妻と正月やお誕生日にお会いできるようになりました。コロナ禍までは、上皇さまから個人的にお食事に招かれておりました。
非常に貴重な証言です。
果たして養子縁組制度への批判でよく使われる、「旧宮家は単なる一般国民」という言説は正しい認識と言えるのでしょうか?
もちろん、現在旧宮家の方々は法律上(憲法、国籍法)間違いなく「国民」です。
ここで僕が言いたいのは、まるで旧宮家が皇室と一切の関わりを持たない、大多数の一般国民と同じように語ることは認識として正しいのか、ということです。
伏見さんのこれらの証言が示すのは、旧皇族という身分が法的に失われても、皇室との人的・社会的な関係までもが失われたわけではないということがはっきりしています。
4 「36〜38親等」ですべてを説明するのは不適切
令和8年(2026)7月10日、宮内庁の緒方禎己次長は、昭和22年(1947)10月に皇籍を離脱した皇族男子と今上陛下について、36〜38親等の隔たりがあると答弁しました(国会会議録検索システム)。
これは、今上陛下と旧宮家の皇族男子について、男系の系譜をさかのぼった場合、最も近い共通祖先が第3代伏見宮・貞成親王であり、そこから双方に至る世代数を合計すると36〜38親等になることを意味しています。
図示すると次の通り。

これ自体は事実であり、男系の皇位継承原理から考えれば「超遠縁」であることに間違いはありません。
そして、これが養子縁組制度を反対する際に言われる「赤の他人」論の根拠となっています。
「女系天皇」論者の都合の良さ
「女系天皇」は、父方をさかのぼっても天皇にたどりつかない人物が天皇になることを想定した場合の概念です。
たとえば、女性天皇とその夫(非男系)との間に生まれた子を天皇とした場合、それは「女系天皇」ということになります。こういった前例は史上ありません。

つまり、女系天皇は歴代の皇統のありかたとは相入れない存在であり、父方をさかのぼっても天皇に行きつかない以上、男系で「⚪︎親等」という指標そのものが使えないことになります。
ここで疑問があります。
女系天皇を認め、現在の皇室との血縁の近さを重視するのであれば、旧宮家についても女性を介した血縁関係を同じように評価すべきではないでしょうか。
それにもかかわらず、旧宮家に対しては男系だけをさかのぼった「36〜38親等」という数字を持ち出し、「赤の他人」と断じるのであれば、判断基準を都合よく使い分けていることになります。
旧宮家は何度も皇室と姻戚関係を結び、近縁となっている
実際、伏見宮家をはじめとする旧宮家は歴史上何度も皇統の本流と姻戚関係を結んでいます。
つまり、伏見宮は当代の天皇の猶子となって親王を世襲するだけではなく、その皇女と婚姻し、両系統の接近を図っています。そして、その王子を次代の伏見宮とした例(伏見宮15代・貞建親王)もあり、血縁的にも結ばれていることになります。
明治時代では、伏見宮から別れた複数の宮家が明治天皇の皇女と婚姻し、王子がそれぞれの宮家当主を継承しています。
さらに、昭和天皇の皇后は宮家(久邇宮家)の出身であり、その子が上皇陛下です。
このことから、上皇陛下と今の久邇家当主(久邇邦昭氏)はいとこの関係にあることが分かります。
こういった事例については以下の記事で詳しくまとめてあります👇

旧宮家の歴史的立ち位置を再確認すべき
しかも、「2」で見てきた通り、旧宮家の本分は常に「皇統を絶やさないために皇室をお守りすること」であり、伏見宮家は世襲親王家として600年間を皇統の本流と共に歩んできたという歴史があります。
実際に後花園天皇や光格天皇は宮家(伏見宮、閑院宮)から即位したことも既に解説しました。
歴史的な世襲親王家と皇女との姻戚関係、現在の親戚関係と皇室との交流、これらすべてを無視して、「36〜38親等」という要素だけを打ち出し「赤の他人」と断じるのは単なるレッテル貼りの印象操作であり、強く批判されるべき報道姿勢ではないでしょうか。
5 正しい国民の理解とは何なのか
これまでの議論において、養子縁組制度は「国民の理解を得られない」と批判されることが多くありました。
しかし、それは国民が旧宮家について十分な情報を得られていないことも、一因ではないでしょうか。
現在、旧宮家の方々は法律上、皇族ではなく一般国民であり、政府が公表できる情報にも一定の制約があると考えられます。
とはいえ、判断材料となる情報が乏しいままでは、国民が旧宮家の実像を正しく理解し、養子縁組制度について判断することも難しいのではないでしょうか。
今回、旧皇族・伏見博明さんが著された自伝は、これまで一般人が知り得なかった様々な内容が書かれています。
ただし、伏見さんは養子縁組制度についての賛否は直接表明されてはいませんし、今回の制度はそもそも伏見さんご本人は対象外です。また、伏見さんには男子はおられません。
「あとがき」ではこのようにお話しされています。
私自身は皇族として生まれ育ったこともあり、自ら前に出て何かを語ることや、自身を殊さらに表現することを良しとしてまいりませんでした。
(中略)
果たして私が語るべき話なのだろうかとの戸惑いもありましたが、(以下略)
あとがき 位置No.206
伏見さんが「旧皇族として皇室をお守りする」「皇室に何かがあれば駆けつける」というご意志を今でもお持ちであることはこれまで見た通りです。
他の旧宮家の方々が全員同じ思いを共有しているのかまでは分かりません。旧宮家もすでに複数世代を重ねていますから、考え方にも違いはあることでしょう。
しかし、今回の伏見さんの「生の声」は、多くの人に「伏見宮とは」「旧宮家とは」「皇室の伝統とは」、そして今回の「養子縁組制度」はどうなのか、といった事について「正しい理解」を広めるきっかけになると思います。
次世代の皇位継承者が悠仁親王殿下ただお一人である今、今こそ皇室をお支えするという旧宮家の「使命」が果たされる時なのではないでしょうか。
改正皇室典範の施行により、養子縁組が現実に成立するのかはまだ分かりませんが、良縁があることを心より願っています。


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