京都御所・紫宸殿で即位礼を開催するという道

感想、反論

令和8年、紫宸殿の特別参観とこれからの大修理をきっかけに、今後の天皇の即位礼は京都で開催すると良いのではないかと思い、実際に可能性はあるのかなどについて書いていきたいと思います。

1 京都御所・紫宸殿の大修理が始まった

京都御所は宮内庁により、10月8日〜10月12日まで秋の特別公開が行われ、御所内で最も格式の高い紫宸殿では、殿内の帳が巻き上げられ、普段は非公開の「高御座たかみくら」と「御帳台みちょうだい」が階下から拝観できるよう公開されました。

そして、特別公開が終了し、紫宸殿は長期の大修理に入りました。
宮内庁によると、工事期間は9年間にわたり、完了予定は令和16年(2034)とのこと。
それまではおそらく、工事現場の参観などを除き、紫宸殿の姿を拝見することはできなくなるでしょう。

紫宸殿整備工事(宮内庁)


2 即位礼の紫宸殿開催を復活できないか

そこで僕は思いました。
せっかく大規模修理を行うのなら、今後の即位礼などの重要な儀式は京都の紫宸殿で挙行されてはいかがだろうかと。

約9年に及ぶ大修理を終えた紫宸殿を、再び即位礼の舞台にできないだろうか?

明治・大正・昭和の即位礼は京都で行われた

明治の皇室典範では、次のように規定されていました。

第十一條 卽位ノ禮及大嘗祭ハ京都ニ於テ之ヲ行フ

このように明確に京都で即位礼と大嘗祭を行うことが書かれていました。

皇室典範ができたとき、すでに明治天皇は東京に遷られていました。
にもかかわらず、「京都で行う」と敢えて規定された理由は何でしょうか?

答えは伊藤博文の著した『皇室典範義解』にあります。
これによると、

維新ノ後明治元年八月二十七日即位ノ礼ヲ挙行セラレ、臣民再ヒ祖宗ノ遺典ヲ仰望スルコトヲ得タリ。
十三年車駕京都ニ駐マル。旧都ノ荒廃ヲ歎惜シタマヒ、後ノ大礼ヲ行フ者ハ宜ク此ノ地ニ於テスヘシトノ旨アリ、勅シテ宮闕ヲ修理セシメタマヘリ。
本条ニ京都ニ於テ即位ノ礼及大嘗祭ヲ行フコトヲ定ムルハ、大礼ヲ重ンシ遺訓ヲ恪ミ、又本ヲ忘レサルノ意ヲ明ニスルナリ。

要約すると、

維新の後、明治天皇は元年8月27日に即位の礼を挙行され、日本古来の大礼を臣民は再び仰ぎ見ることができた。
明治13年、明治天皇は京都に行幸された時、旧都の荒廃を嘆き惜しまれ、
「後に大礼を行う者はこの地で挙行すること」と仰せられ、勅により宮殿の修理を命じられた。
皇室典範11条に、京都において即位の礼と大嘗祭を行うことを定めているのは、大礼を重んじ、明治天皇の遺訓をつつしんで受け、また、根本を忘れてはならないという意志を明らかにしてのことである。

ということです。
政治や経済の本拠が東京に移ってからも、京都で即位礼を行うことはもとより大きな意義があると言えます。
「本ヲ忘レサルノ意ヲ明ニスル」とはつまり、いにしえから、具体的には第50代桓武天皇のもと平安京に遷都されて以来、1000年以上にもわたって皇室の歴史・伝統的な本拠が京都にあったことを忘れてはならない、ということだと思います。

このことから、天皇が東京に住んで政治の本拠として公務を行うことと、歴史・伝統の本拠として即位礼や大嘗祭を京都で行うことは何の矛盾もないことになります。

明治天皇の思し召しを鑑みれば、これは必ずしも単純な懐古ではありません。
京都での皇室の歴史1000年を、現代の皇室につなぐ行為にもなり得る、十分に意義ある行いであると思います。


3 京都開催の実現可能性、その課題

ここでは、実際に京都で開催される余地はあるのか、現実にどのような議論があり、課題があるのかについて見ていきます。

皇室典範(法律)上の問題はない

現在の皇室典範では、第四条に「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する。」とあるのみで、場所については制限がありません。
そのため、京都での開催については法的に拘束されるものではありません。

なぜ平成から東京開催になったのか

上皇陛下は、御歴代で史上初めて東京で即位され、今上陛下もこれにならいました。
なぜ平成からは東京で挙行されることとなったのでしょうか?

1. 政府が東京開催を選んだ理由

1990年(平成2年)5月24日の参議院内閣委員会で、宮内庁の宮尾盤次長は、京都開催について次のように答弁しています。

今日京都で行うということになりますと、例えば国政事務の面あるいは経費の面、警備の面その他もろもろの点につきまして解決をしなければならない大きな問題というものがあるというような諸般の事情を考慮いたしまして東京で行うことが適当である、こういうふうに判断をされたわけでございます。

国会会議録検索システム

要するに、かなり身も蓋も無い話ではありますが、
国政事務(諸行事の運営)、経費、警備(天皇皇后両陛下、皇族方、国内外の要人の警護など)
という実務的な面を考慮した結果だったようです。

しかし、東京に本拠を置きつつ、京都で即位礼と大嘗祭を行った実績は大正天皇と昭和天皇の二例があるわけです。
確かに、直近の例でも100年近くも前のことなので、今とは状況が違うのはその通りです。
ですが、このように考えることもできるはずです。

「なぜ100年前にできたことが現代では無理なのか?」

鉄道・航空網、宿泊施設、通信手段は100年前とは比較にならないほど発達しています。
京都御苑には100年前にはなかった「京都迎賓館」があり、国賓接遇の空間もあります。
また、平成の即位礼からもすでに36年となり、当時と今とでも多くの技術が発達しました。

そして、注目すべきことに、令和の即位礼よりも昭和の時の方が参列者が多かったという事実があります。
昭和 2,236人 宮内公文書館、昭和大礼記録より
令和 1,999人
 政府広報より
「京都御所では大人数を収容できない」とは必ずしも言えません。

2. 京都開催を求める動きもあった

京都市長が京都開催を提起していた

平成29年(2017)6月12日、当時の門川大作京都市長は、記者会見でこう発言しています。

京都で御大典をということは,かねてから多くの方々の願いでもありました。

門川市長記者会見(2017年6月12日)(京都市情報館)

さらに、京都御所でどのような儀式が実施可能かを調査し、専門家の意見も聞いたうえで、国に意見を申し上げるべきだと述べています。

京都府も公式に議論していた

京都府は平成29年6月19日、皇室史研究者の所功氏らを招き、「京都の未来を考える懇話会」を開催しています。
その議題には、
「新天皇の御大礼(即位の礼・大嘗祭)と京都との関わり」、
「皇室の方々に京都にお越しいただく機会の創出(皇室行事の京都開催など)」
が明記されています。

第15回京都の未来を考える懇話会(京都府)

ただしこの懇談会では、京都開催は現実的に困難ではという慎重意見も出されています。

これを受け京都市長は、現実的な難しさがあることを受け止めつつも、将来の京都開催を長期目標として議論し続けるべきと記者会見で次のように回答しています。

即位の礼と大嘗祭については,現実的に何が可能かと言う前に,本来どうあるべきかという議論をしていくべきだと思います。

(中略)

しっかりと議論し,そして実現可能なことを具体的に国で判断していただく。今回はそこまで出来ないが,本来はこうあるべきだといった,100年後,200年後も含めた見解をまとめておくべきだと思います。明治天皇の大嘗祭は東京,大正・昭和天皇は京都になっています。千年の歴史をしっかりと踏まえて,千年先も見据えた議論をして,今,何ができるのかをまとめるべきだと思います。

門川市長記者会見(2017年6月21日)(京都市情報館)

補足 高御座と御帳台の輸送コスト

平成2年(1990)4月26日の国会答弁によれば、京都から東京への輸送と修理などに約4億2,100万円の予算が計上されていました。国会会議録検索システム
報道によると、この時は過激派などの襲撃を懸念し、ヘリで空輸したようです。

令和の即位礼では、平成30年(2018)9月25日、高御座・御帳台を解体して8台のトラックに積み、京都から東京へ陸送しました。部品は約3,000点に及んだとのことです。
その輸送・修理費用としては約5億円が盛り込まれたと報じられています。

天皇陛下の退位 皇位継承の儀式などの経費は35億円(テレ朝NEWS) 2017年12月22日
新天皇の即位の礼に使われる高御座などが皇居に到着(同上) 2018年9月26日

京都で開催するメリットとしては明確に、
「高御座と御帳台を京都から東京へ移送する必要がない」と言えます。
道路上の事故や輸送時の振動、解体・再組立てによる損傷と手間、さらに平成の時に懸念されたテロ行為などを考えると、京都に安置されているものをわざわざ解体し、東京に移すことは大きなリスクがあります。


4 まとめ 合理か、伝統か

明治天皇の思し召しの通り、未だ皇室の歴史の根本は京都にあります。
しかも、今こうして儀礼空間の伝統を残していくために9年間にもわたる紫宸殿の大修理が行われるわけです。

警備など現実問題を踏まえることは必須ではあります。しかし、実務や合理に偏よらず、長く残すべき伝統は守り続け、そのための努力と具体的な実現可能性については真剣に考えるべきだと思います。

大修理を終えた紫宸殿を拝見できる日を心待ちにし、秋篠宮皇嗣殿下や悠仁親王殿下、さらに将来の御代の即位礼が京都で執り行われることを願っています。

コメント

タイトルとURLをコピーしました